工芸のためのメタバースをつくる
2022年04月14日
ゲームは30分足らずで飽きてしまうし、VRの世界にも入り込めない。目的のないファンタジーに何の意味があるのかと、冷めた目で見てしまう自分がいる。どんなにバーチャル旅行が流行っても、やっぱり自分の足で世界を歩き、その場所の繊細な空気を感じたいと思う。
そんな自分がなぜか今、メタバースを作っている。
それも、メタバースとの相性が悪そうな、工芸のためのメタバースをつくっている。
写真と工芸と3D

僕が住んでいるのは、日本有数の木彫刻の町として知られる、富山県南砺市井波という地域。この町で、フォトグラファーとして彫刻師の方々の作品を撮ってきた。彫刻はどれも一点もので、一度自分の手を離れてしまうと、また目にすることはほとんどない。だから、記録としてあるいは営業ツールとしての写真撮影を依頼される。

写真を撮る時には、作品の質感や立体感が伝わるように、構図や照明に気を配る。けれども、どうしても作品の魅力が伝わらない。当たり前のことだが、正面から撮った写真で後ろの姿を見ることはできない。やはり、三次元のものを二次元で伝えようとするのには無理がある。
そんな中で、3Dスキャンのハードルが下がってきた。スマホひとつで3Dモデルをつくることができるようになり、HMD(いわゆるVRゴーグル)を使うと、まるでそこにあるかのように自由な角度から立体的に作品を見られる。スマホでスキャンした3Dモデルは解像度が低く、お世辞にも実物と同じとは言えないが、超高解像度のカメラで撮影した写真よりもずっと正確に作品の魅力が伝わるように感じる。
VRがまだ発展途上の現在でさえこれだけリアリティがあるのだから、きっと近い将来、実物と見分けのつかなくなる体験を提供してくれるデバイスが出てくるに違いない。そんな未来を見据えて、井波の彫刻作品をアーカイブしておけるメタバースを作ることにした。
なぜメタバースなのか
たんに作品を3Dで伝えるのなら、既存のウェブサイトに3Dビューワーを埋め込んでおけばいい。それだけでも情報量はぐんと増えるし、難しい技術いらずで今すぐにでもできる。けれども、自由に歩き回り、仲間と集い、そこにいる人たちの手で空間を作り上げることのできるメタバースにしたかった。
紙の辞書を使ったほうが勉強ができるようになる、という説を聞いたことがあると思う。電子辞書は知りたい言葉を一瞬で出してくれるが、その前後の単語も一緒に学べる紙の辞書のほうが知識量が増えるという説だ。
これはショッピングでも同じで、アマゾンで買うよりも、ショッピングモールへ出かけた時のほうが「ついで買い」が多い。ネットショップは目的のモノを買うには便利だが、こんなものがあったのかという発見は少ないと思う。最近ではレコメンド機能も進化してきたが、やはり三次元の世界と比べて、知らないものに出会える機会は少ない。
工芸品の場合はセレクトショップのページで作品を探すことになるのだが、ここでもカテゴリごとにページわけがされており、漆の作品を探していたのに隣にあった木彫りの作品が素敵で買ってしまった、という体験はほとんどない。検索ではヒットしなくても、素敵な作品を作る作家さんはたくさんいる。だから、現実と同じ三次元の空間にギャラリーを作って、視界に自然とさまざまな作品が映る世界をつくりたかった。
バーチャル井波
前置きが長くなったが、実際に井波を仮想空間につくってみた。HMDを装着して、自由に町を歩き回れる。木彫刻工房からはコンコンコンとノミを叩く音が聞こえ、気になるお店にふらっと入る。そこには作品が並べられ、気になるものを自分の手に取って好きなだけ見られる。一瞬にして目の前に詳細な情報が現れ、そのまま購入ボタンを押すと、実物が自宅に届く。
これが僕の描く次世代のネットショップだ。(ただしこれは理想とする完全なメタバースに移行するための橋渡しで、超短期的な目標にすぎない。長くなるので、全体像はまたいつか。)




リアルじゃなくていい
バーチャル井波をつくるうえで、どこまでリアリティを求めるか悩んだ。現実そっくりの空間をつくることも、技術的にはできる。ただ、そのためには大変な労力が必要で、何よりデータが重くなってしまうため、デバイスの処理能力の限界がきてしまう。そこでふと思ったのだが、そもそも現実と同じ空間をバーチャルに作る必要があるのかという問題だ。
脳の中にある世界はこんなにもひらけている。人類の妄想力は無限大だ。にもかかわらず、人間はどうしてこんなにも物質にとらわれているのだろう。
肉体から解放され、物質と決別することができたとき、人類は初めて無限の可能性を手にするはずだ。1
- 加藤直人「メタバース さよならアトムの時代 」(集英社ノンフィクション)より ↩︎
バーチャルの魅力は、現実の身体・環境・土地といったあらゆる物質的制約から解放されることだ。それならば、より合理的で本質的な空間をつくったほうがよいのではないか。そう思い、井波の町を一度分解し、必要な要素を凝縮して再構築することにした。
究極は実際の町の姿に囚われない、もっと自由な空間を作りたい。だが、冒頭でも書いたように、まだ僕には物質的世界に未練がある。そして何より、自分の住む井波という町と、素晴らしい彫刻作品を知ってもらいたい。だから、井波の町のエッセンスは残しておきたかった。
このバーチャルの町には、政治家のポスターはないし、数年前にリフォームしたピカピカのアルミサッシもない。でも、それらは井波の魅力を伝えるには不要なものだし、町の本質ではないと思う。こうして象徴化されたメタバースの井波を経験してから、実際の井波を訪れたとしても落胆することはないはずだ。井波の歴史や空気感が伝わっていればいいのだから。
歴史を体験する
歴史といえば、昔はこの通りに川が流れていたそうだ。川の両脇には店がずらりと並び、大変賑わっていたそうだ。写真も残っていないほど昔のことで、町に住む子どももそのことを知らない。これまでの教育では、文字や画像でそのことを伝えるしかなかった。だが、VRを使うと、目の前に川があるのだ。過去にタイムスリップしたかのように、自分ごととして体験できる。歴史的な背景をも町に組み込むことができるのは、メタバースならではだ。

バーチャル井波のこれから
開発開始からまだ数週間しか経っていない。それも、実験を重ねている途中で、ここでお見せしているのはあくまでプロトタイプのプロトタイプでしかない。けれども、方向性はこんなところだ。
近い将来、バーチャル井波に人が集い、交流し、作家自身がこの場所に作品を持ち込んで展示入れ替えもするという世界を想像している。管理者が存在せず、参加者のみで自立するような世界になれば成功だ。
考えたくはないが、彫刻職人は減少傾向にあり、市場も縮小している。でも、同じ「彫刻」というつながりで、3Dアーティストが登場してもおかしくない。彼らがバーチャル井波でNFTの売買をする、なんていう未来も考えられる。そうなれば、もし仮に現実の井波の町の姿が大きく変わってしまったとしても、「ものづくりの町井波」はずっと受け継がれていくはずだ。そして、バーチャル井波をきっかけに、物質的世界の井波を訪れてほしい。
そんな世界を夢見て、開発は続きます。